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東北関東大震災を経験して [日記]

2011年3月11日(金)14時46分

東北地方三陸沖を震源とした大地震が発生した。

今現在、発生から9日経っている。

このブログを将来読み返したときに、

今の気持ちを忘れぬようにここに記して置く。

私は「その時」東京本社ビル(中央区)にて仕事中であった。

私の所属している部署はビルの1階にある。

私の席は、すぐ背中には大きなはめ殺しの窓があり、

破損の危険を感じ事務所の中へ移動し、

振り返り地震の揺れを目の当たりに見ていた。

柱と梁の異常な動きは初めての経験であった。

一級建築士として多くの建物の設計や建築現場を経験してきたが、

今回の揺れは正直恐怖を感じた。

結果的に東京では「震度5強」との事であった。

その時はてっきり東京近辺が震源地だと思ったが、

ニュースで東北地方が震源地とのこと、

震源地近辺はどれほどの事であったか、

想像を超えた状況であったであろうことはすぐ想像できた。

今、私の仕事は建物管理の仕事である。

又、多くの部下を抱えている。

これから起こる各物件の確認作業の事を考えると、

とても地震後の感傷にひたっている場合ではない。

社内ではすぐ部長級以上の社員の招集がかかり、

緊急対策委員会が組織された。

まず初めに社内の人員の安全確認作業にとりかることとなった。

直後の電話は意外に数回のかけ直しで通じたりしていたが、

2~30分もするとほとんど通じなくなってしまい、

安否確認に大変手間取ってしまった。

そんな中でもメールは時間のズレはあるが、

確実に入ってきて、こういった緊急時には

電話連絡より有効ではないかと感じた。

女性社員等、帰れる人は帰るよう指示を出したが、

首都圏の交通機関はほとんどストップしており、

結果的に、ほとんどの社員が社内に泊まることになった。

又、本来こういった緊急事態になると、

客先より多くの電話が入ってくるのだが、

電話が通じにくいこともあり、

異様に静かな事務所内であったと記憶している。

結果的には会社に泊まることになり、

部下も多くいたことから安否確認やら物件情報の入手等

思いの他スムーズに出来たように思う。

もしこれが夜中であったりしたらと思うと、

今回の時間帯は不幸中の幸いと言えるかも知れない。

万一今回の件が夜中であったら、 

とても全員の安否確認や物件確認など出来るわけなく、

そのことを思うと私としては今回の時間帯については、

内心は、ほっとしていたというのが本心であったと記憶している。

全体として大きなトラブルもなく済んだというのが実感である。

私は翌土曜の午前中まで社内で対応して、

12時に勤務を終了し会社を出た。

その後有楽町まで歩き有楽町線にて自宅へ向かった。

その時はもう街中は落ち着きを取り戻しているようであった。

今考えると世の中的には嵐の前の静けさであった。

その後、福島原発事故報道や東電の「計画停電」等と

大変な事態が発生してしまった。

計画停電については日曜の夜に発表があり、

かなりの交通機関の間引きがあり、

翌月曜の通勤には相当混乱することが予想された。

初めに心配し懸念したのが、

各物件への現場担当者の足の件であった。

結果的には当時全物件で穴を開けるようなことが

一件も無かったのには驚きと、

担当者へ心から感謝の気持ちが湧いてきた。

これからもまだ「計画停電」が続くが、

なんとか乗り切っていけるだろうと思う。

ここからは連日報道されている、

地震被害や福島原発関連についての思いを私なりに記しておきたい。

テレビ報道を見て心から感心するのは東北という土地柄なのか

被災者の人達の冷静な態度や言動に感心する。

恐らくあまりにも大きな被害が一瞬に来てしまったので、

悲しむ暇もないのではないかと思う。

本当の悲しみや苦しいはこれから徐々に襲ってくるのだろう。

子供や奥さん、さらには親を一瞬で無くしてしまった人の気持ち、

とても我々普通の生活をしている人間には、

心の底までは理解出来ないだろう。

現在は情報社会である。

インターネット、TV報道、ツィッター、フェースブック等々・・・

被災地以外にいる者には多くの情報が入ってくる。

本来TVのディスプレイの向こうにいる被災者達に必要な情報が、

茶の間にいる我々に24時間連続で入ってくる。

まるで茶の間が中央司令室のように被災地の各地の情報が入ってくる。

救援隊の状況や救援物資の状況も入ってくる。

こういった情報を現地の被災者へ本来逐次伝われば、

頑張れるであろうと思うが、先の見えない頑張りは辛いものがあると思う。

なんともしがたい・・・

福島原発事故はなんでこんなことが起こるのか、

最初はとても信じられないような気持ちであった。

本来こういった施設は想定外のことが起こっても

安全でなければならないと考える。

そもそも扱っているものが想定外の原子力ではないのか、

想定外のことが起こっても安全でなけらば、

今後永遠に使用することは出来なくなるであろう。

今は非常事態のことが起こっている。

こう言ったことを議論するのは今回の件が落ち着いてからになるだろうが、

なんともやりきれない事故が起きてしまったものだ。

なかなか今起こっていることがどういう事なのか、

理解出来無いがWEBでいろいろ情報があるが、

そんな中で大前研一氏の動画で説明していることが

分かりやすかったので紹介します。

⇒「大前研一のBBT757/ライブNO1

⇒「大前研一のBBT757/ライブNO2

原子力の専門分野を勉強していただけあり分かりやすく、

又、単に技術者的分析だけでなく政治家的発想でこれからの日本について

どう対応していったら良いか、等々話していてとてもわかり易かった。

今、我々はどうしたら良いか・・・

被災していない我々の取るべき道は、

いろいろな形の復興支援があると思うが、

一時的な義援金だけでなく、

これからの日本を立て直す為にどうしたらよいか、

本当に真剣に考える必要があると思う。

救いは被災にあった若い人達が非常に前向きに頑張っている。

逆に我々が元気付けられる気がする。

これから大きく日本の経済は落ちるだろう、

そこからどう立ち直るかは日本国民一人ひとりに課せられた試練だと思う。

過去日本は大きな戦争を経験し大きな復興を成し遂げてきた。

今回もきっと大きく立ち直ると思う。

それは若い人達の動き、言動を見てそう感じる。

今までは悪い面ばかり表に出てきて、

今の若いものはという風潮があったが、

今は違う気がしていると私は見ている。

定年間近の50代の私としては知識と経験がある。

若い人は大きな可能性がある。

国民が一体となり東北地方の復興支援や経済の立て直しと、

大きな目標が出来た。

人間目標が出来ると元気になる。

これからは自分が何のために生きているなどと言う人は居なくなるだろう。

国民全体で大きな目標が出来たのだから。

がんばれ東北、がんばれ美しい国日本、

がんばれ福島原発で頑張っている人達。

 

 

 

 


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